「悪文」

 岩淵悦太郎編著「悪文 伝わる文章の作法」を読みました。ただし、私が読んだのは角川ソフィア文庫から2016年に発行された版です。この版は1979年刊行の「第三版 悪文」(日本評論社)を改題し文庫化したものですので、内容は1979年当時のものですね。

 本書では様々な悪文の例が、主に雑誌や新聞、広告の類から取り上げられています。何と言いますか、よくもまあここまで探したものだと思います。明らかな悪文から、よく考えれば悪文だなあというものまで、様々なパターンが挙げられています。本書には1979年に刊行された内容がそのまま出ていますので、現在では使われていないような言い回しも多いように思いました。もっとも、そのようなことで本書の値打ちが下がるということは全くなく、むしろやや保守的な態度で文章を書こうという方にとっては必読であると言っても過言ではないかと思います。

 悪文の例として取り上げられている例文は、一読しただけでは何の問題も無いように思えても、解説を読めば確かにわかりにくい文章だと思えるものばかりです。ただ、一点だけどうしても首肯できないものがありました。日本の裁判所が出す判決文、これはかなりわかりにくい文章で、読み慣れていない者にとっては間違いなく悪文です。本書ではいくつか例が挙げられているのですが、その中に明治二十四年の大津事件の判決文も挙がっていました。

 大津事件の内容については、悪文とは直接関係ないので省きますが、本書で挙がっている判決文を少し引用しておきます。原文は当然縦書きです。

 

  津田三蔵

  安政二年十二月生

 右三蔵ニ対スル被告事件検事総長ノ起訴ニ依リ審理ヲ遂クル処

 被告三蔵ハ当時滋賀県巡査奉職ノ身ヲ顧ミス今回露西亜皇太子殿下ノ我国ニ来遊セラルルハ尋常ノ漫遊ニアラサルヘシト妄信シ私ニ不快ノ意ヲ抱キ居タル処明治二十四年五月十一日殿下滋賀県ヘ来遊ニ付被告三蔵ハ大津町三井寺境内ニ於テ警衛ヲ為シ其際殿下ヲ殺害セントノ意ヲ発シ時期ヲ伺ヒ居ルトコロ被告三蔵ハ嘗テ同町大字下小唐崎町ニ警衛シ居タリシニ同日午後一時五十分頃殿下カ同所ヲ通行アラセラレタルニ当リ此ノ機ヲ失セハ再ヒ此目的ヲ達スルノ時ナカルヘシを考定シ其帯剣ヲ抜キ殿下ノ頭部ヘ二回斬リツケ傷ヲ負ハセ参ラセシニ殿下ハ其難ヲ避ケントセラレシヲ被告三蔵ノ尚ホ其意ヲ遂ケント之ヲ追躡スルニ当リ他ノ支フル所トナリ其目的ヲ遂ケサリシモノト認定ス

  (後略)

 

 私自身はこれを悪文とは思いません。確かに現代の言葉からすれば読みにくいものです。しかしこれは江戸時代によくあった漢文訓読もどきの文章を考えれば、何の問題もなく読めるのです。口語ではなく文語ということです。この判決文が悪文であるならば、高校現代文の教科書にも載っている森鴎外の「舞姫」も悪文扱いされかねません。この判決文が書かれたのが明治二十四年、まだまだ文語が使われていた時期です。主な筆記具は筆の時代です。この時期の商店の帳簿なんかを見ても、素人目には江戸時代後期のものと区別がつかない場合がほとんどです。そういった時代背景を考えずに上記の判決文を悪文であると決めつけるのは、早合点が過ぎるというものです。

 本書で私が批判したいのはこの点くらいです。特に「敬語の使い方」の章は必読です。特にコンビニのバイトさんに読んでいただきたい。 本書の他にも日本語の書き方ということでいえば、本田勝一さんの「日本語の作文技術」(朝日文庫、1982)がありますが、こちらも大変勉強になる本です。

 しかしここで、正しい日本語とは何ぞやという疑問が湧きます。私にはその答えはわかりません。水野美苗さんの「日本語が亡びるとき」(増補版はちくま文庫、2015)や田中克彦さんの「ことばと国家」(岩波新書、1981)、沖森卓也さんの「日本語全史」(ちくま新書、2017)をはじめ、言葉に関する本はたくさん出ているのですが、どれを読んでも答えは見えてこないのです。はたして正しい日本語などというものが存在するのかどうかさえも怪しいものです。

 とはいっても、わかりやすい文章、読みやすい文章というものは存在します。明らかに読みにくい文章や意味の分からない文章もあります。前者を目指そうとするのであれば、本書は間違いなく役に立つはずです。また、Twitterやネットのニュースなんかを眺めているだけで悪文は簡単に見つけられますから、それらを他山の石とする際の参考にもなるでしょう。

 Twitterやネットのニュースが美文名分で溢れることになったら。それはそれでちょっと気持ち悪い気もします。

ここまで偉そうに書いておいて、果たして自分がどこまで読みやすい文章を書けているのか、それは甚だ疑問です。修行します。